コンテンツ部顧問をしておりますnoriです。
今年も多くの映画や配信映画を鑑賞しました。
しかしながら、僕も還暦を迎えたせいか段々目も衰えてきて一日で複数本の映画を鑑賞することが厳しくなってきました。でも映画鑑賞はやめられない、止まらない(笑)。ですから、少し厳選して映画鑑賞をするようになってきました。
その中でも今回話題にする映画「シビル・ウォー アメリカ最後の日」は今年鑑賞した中で考えさせられる映画の一つでした。時期的にアメリカ大統領選挙や日本の衆議院選挙の前後で鑑賞したことも影響しているのでしょう。
[あらすじ]
話の内容はあまり難しいとは思いませんでした。ロード・ムービーとして観れば比較的楽に鑑賞できると思います。
あらすじは、
独裁者の大統領の出現により内戦に突入した近未来のアメリカ合衆国。主人公のジャーナリスト、リーたちは14ヶ月に渡り取材を拒否している大統領への単独取材を行うべく、ワシントンD.C.を目指して戦場と化した米国を旅する。
と言った内容で良いかと思います。
僕がこの映画を鑑賞しようと思ったのは、他の映画鑑賞でのティザーで観たことでした。その時の感想は「なんだ、南北戦争を題材にした現代版の映画か」「でもなんとなく面白そうだからチェックだな」程度で映画館に向かいました。
[観ていながら考えたこと]
最初はロード・ムービーなので、流れに沿って楽しんで鑑賞していました。鑑賞しながら
頭の中で「楽に観られるけど地獄の黙示録ほどの重さはないな」などと感想を持っていました。
実際に報道カメラマンを目指す女性の成長の物語でもあるので、ある程度の予想をしながら鑑賞していました。「多分、こうなるだろうな。たいしたことはない映画」だと。
"What kind of American are you?"
「お前はどの種類のアメリカ人だ?」
劇中で最も衝撃的だった、リーが仲間の若手カメラマン・ジェシー(ケイリー・スピーニー)らを捕らえた赤いサングラス姿の兵士と遭遇するシーンでした。
兵士はリーたちに銃を向けながら、予告編でも使われている「どの種類のアメリカ人だ?」という強烈な質問を突きつけます。回答次第では、その場で射殺される。一瞬たりとも油断できない緊迫した状況が伝わってきます。
「赤いサングラス」は露骨に笑います。ヒロインのジェシーは「ミズーリ州」出身で助かりますが、香港生まれのアジア人は射殺されます。
このシーンを鑑賞できただけでも僕にとっては価値ある映画でした。映画の本末は配信等で是非、鑑賞していただければと思います。
[逃走論]
映画鑑賞が終わると帰り道で頭の中にできたのが浅田彰の「逃走論」でした。
時間は遡って1984年。前の年の「構造と力」でニューアカデミズムの代表格の一人となった浅田彰が老若男女に逃走を呼びかける不思議な思想エッセー集として大ヒットしました。
彼は言います。「70年代の思想課題をどうすれば清算できるか、を意識していました。具体的にはそれは全共闘世代の問題です。70年代は初めに連合赤軍事件が起きて、その後の左翼的な運動や思想は袋小路に入っていました。どうすれば革新的な思想をポジティブな方向に展開できるのか、を考えようとしたのです」 「連合赤軍の関係者は、革命を目指しながらも仲間内での悲惨な殺し合いに陥っていきました。そこには気になる傾向があった。自らの逃げ道をあえて断つことで、『革命家としての自分のアイデンティティー』を確固たるものにしようとしていたのです」「『革命家をやめて就職することも選択肢に残しておこう』と考える学生はダメなやつとされ、逃げずに『革命家としてのアイデンティティー』を純化させることが大事にされたのです。しかし僕には、それは戦略的に間違っていると思えました。陣地を捨てて逃げた方がいいのに、と」・・・・
[映画シビル・ウォー アメリカ最後の日から考える逃走論]
来年の1月にはアメリカはトランプ前大統領が再選して新たな大統領となります。アメリカの人々が選んだ大統領なので文句はありません。かつての大統領選挙でも一挙に各州の結果が赤色の表示結果になるとき(今回はもっと早かったですが))、インテリ層の方々はさぞかしがっかりしただろうし、アメリカを出て行く方もいたと思います。今回もそうですね。
そこで「逃走論」の考え方が出てくるのです。僕は今回の大統領選挙は多分、アメリカ合衆国というよりも株式会社アメリカ合衆国を望んでいるような気がしてなりません。国とはいったい何なのかをもう一度考える良い機会となっているように思います。
この数ヶ月、フランス、ドイツ、日本、韓国の問題、ウクライナの戦争は終わらず、シリアはアサド大統領が亡命するも、その後はどうなる?民主化するとしても模範となる民主主義国家が果たして存在するのか?
是非、映画を鑑賞していただきながら、今後の世界の情勢を考えていくことが大切かと考えています。
悶々とした日々が続いています。
来年は今年より世界が良くなることを祈りながら。