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「一部」の部分が太字です。
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ポイント5:キャリアパスの停滞が懸念される場合は転職も考えよう。ただし、それまでにしっかりチャレンジして転職理由を説明できるようにしておこう
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デイブの職歴(クリックすると内容が読めます)
- ゲーム好き・それもRPG好き→アスキーというパソコン雑誌で紹介されていた、Macintosh版の白黒の「ウィザードリー #1」が無性にやりたくて、大学入学祝いに親に「Macintosh Plus」を買ってもらう。英語は唯一の情報ソースなので頑張ってなんとか読む。もしこの時、同時期に発売されたフルカラーでグラディウスのレーザーが長くてFM音源のBGMが魅力的だった「シャープ X68000」を買っていたら人生変わってた。
- 大学にほとんど行かずゲーム三昧の日々。2年生の夏に池袋西武WAVE館にできたMacintoshの販売店(「Apple House」というストレートな名前のお店でした)に週5バイトで入り浸る。そして知らずのうちに親の扶養を外れてしまい迷惑をかける。仕事内容としてはハード・ソフトの販売だけじゃなくて、レーザープリンターでの印刷サービス、さらには客先常駐でカルテの入力などもお手伝いしてました(今じゃダメだけど)。
- そんな時、バイトの後輩(大学も学年も一緒だけどあとから入ってきた)が「アスキー」の新卒採用試験に誘ってくれて、興味あったので面接に行って二人とも内定をいただき、慌てて64単位残っていたところ必死に大学に通ってなんとか卒業。その同期が「ゼノギアス」「ゼノブレード」シリーズなどを開発するモノリスソフトウェア株式会社代表取締役の杉浦博英君 https://www.monolithsoft.co.jp/message/)。バブル弾け始めていたし、アスキーもバタバタしていた時期なので本当にラストチャンスでした。
- アスキーではまずビジネス開発部みたいなところに配属されましたが全く合わず、2年目に出版局に転部希望を出し、元々希望だった出版局に異動。Mac向けのCD-Rマガジン「HyperLib」に編集者として拾ってもらう。その後月刊専門誌「MacPower」に異動。スタッフ・ライティングと言って編集者も記名でいっぱい記事書いてました。
- 1995年前後、インターネットブームに乗ってWEBサイトの制作・運用を担当。取材の時に知り合ったAdobeのマーコムの部長さんに声をかけてもらってAdobeに転職。
- 4年後にAppleに転職。同じくコーポレートWebサイトの担当。一番きついのはやはり自分が編集者だった時にも苦しめられた新製品発表の時でした。発表のたびに翻訳者とWeb制作会社の人と会社に2週間くらい缶詰になり、発表前の数日は徹夜で泊まり込みで日本語サイト作ってました。
- その後、なんだかんだあって4年後にeCommerce担当としてAdobeに呼び戻していただきました。Adobeがサブスクを開始する直前まで、直販サイトとコールセンターのマネージメントを担当。
- 2011年より現職3M。転職理由は、BtoCは色々やらせていただいたので、「次はまだ見ぬBtoBデジタルマーケティングで勝負したろかい!」という、今考えたら奢った考えによるものでした。きちんと大小色々な困難にぶつかって挫折も何回か経験しながら、もがいてもがいてなんとか今は形になっているのではないかと思います。MA/SFAやWebinarツールの担当を経て、今年から社内開発のAIツールのアジアにおけるデプロイメントや教育・啓蒙を行う仕事をしています。